第三祝福実現のために

神様が与えて下さった第3祝福を実現するための一助として、FXを活用してみようという中年オヤジ食口のブログです

あの方はなぜサンクチュアリへ?

ある大先輩家庭の方が家庭連合からサンクチュアリ教会に移ってこられた。

それを見て人は様々なことを言う。

「家庭連合には自分の居場所がないからでしょ。」

「サンクチュアリ教会のほうが家庭連合よりも儲かるからじゃやない?」

「早期にサンクチュアリ教会にいけば、後の位置が保障されるんじゃないの?」

などなど。

私が思うに、そういった発言には、内的な霊的・心情的な側面が完全に欠落しています。

いやあえてその部分には触れず、サンクチュアリ教会共々悪意あるレッテルを焼き付けようと

しているとしか考えられない。

セレンディピティ

セレンディピティという言葉をご存知だろうか。

ウィキペディアでは、

セレンディピティ(serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見する こと。

また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然 見つけること。

平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

と説明している。


私のある体験をご紹介したい。

それは理髪店でのできことである。

40歳を越えた頃から私の頭は砂漠化が進行していた。

そんな私が理髪店でいやな事は、櫛通りをよくするために、霧吹きで

頭にシューシューとやられることだった。

特に冬に、シューシューとやられると冷水が地肌を直撃してブルブルとくるのが

嫌でたまらなかった。

11月中旬の寒い日、私は理髪店に行った。

自分の番になり、大きな鏡の前の理容イスに腰をかけた。

するとご主人が例の霧吹きを持って私の横にたった。

私は、「髪が耳にかからないようにお願いします。」

と伝え、あのシューシューが来るぞと身構えていた。

そして案の定、主人がシューシューと私の髪に水を吹きかけた。

私は地肌を直撃する冷水を警戒して緊張していたが、意外にもその水は冷水ではなく

温水だったのである。

その予想外の温水がなんと心地よかったことか・・・。

それで私は主人に言った。

「今日のシューシューは温かいですね。」と。

すると主人は辺りを見回し、

「あ、すみません。霧吹きをタオルの蒸し器の上に置いてしまっていたもので。」

謝るではないか。

わたしは、すぐに

「いえ、いえ。私は温かいほうがいいんですよ。」といいながら主人の

顔をチラリと見たが、主人はちっとも顔色を変えなかった。

私は主人が私の発言の真意に気付いていないと思った。

(気付いたのなら主人は苦笑を浮かべたはずである。^^)

実際、2ヵ月後その理髪店に行った寒い日、主人がシューシューと吹きかけた水に

私はブルブルと震えてしまったのだから。


おそらくご主人はすべてマニュアル通りにサービスを行うことが自分の仕事だと思っていたのだろう。

だが、もしご主人がさらなるサービス精神を持ち、お客様の発言や様子から何かヒントを得ようと

心がける人であったならば、冬場の霧吹きの温度は高めで、夏場は低めの方がお客様は快適に

感じるのではないかというヒントを得たのではないだろうか。

その些細なことに気づけるかどうかが、後の大きな差につながるのではないだろうかと思う。


このような気付きの感度を高く保つということは、信仰の世界でも重要なのではないかと思う。

神は生活のあらゆる場面で、私に必要なことを示して下さると考え生活することで、より多くの

神の恵みを見出すのではないだろうか。

常に祈祷の心で、神のみ心に応えたいものだ。

ご両親は子供好きなのかな?

中3のある女の子がいた。

彼女と話をしていた時に、5人兄弟だということがわかった。

それで私は彼女に

「ご両親は子供好きなんだろうね。」

と言うと、彼女は

「子供が好きというより、パパはママが好きで、ママはパパが好きなだけですよ。」

と答えが返ってきた。

その答えに、なるほどと感心してしまった。


食口の多くはお父様が大好きで、愛しているという。

そんな食口に亨進様は問いかける。

「あなたはお父様が好きなのか、お父様が下さるキャンディーが好きなのか?

この差は大きい。」と。

2月13日までに聖酒をいただいた群れはお父様の愛に従う群れだとおっしゃられた。

この群れを中心に摂理を始めるとも。

責任重大である。