第三祝福実現のために

神様が与えて下さった第3祝福を実現するための一助として、FXを活用してみようという中年オヤジ食口のブログです

み旨に消極的だった人たちも集える教会

「静岡の食口も真のお父様のもとに還ります」のブログに以下のような内容が記載されていた。


家庭連合から、「サンクチュアリに行った兄弟姉妹は、み旨に消極的だった。」等のご批判も頂いておりますので、その内容も謙虚に受け止め、今、神様が準備している人たちに、み言と実体を伝えていくことが、私たちが今やるべきことではないだろうかと考えております。


なんと謙虚な方であろうか。素晴らしいと思う。

さて、「サンクチュアリに行った兄弟姉妹は、み旨に消極的だった」の箇所を自分なりに考えてみたい。

ここであげているみ旨とは一体何を指しているのだろうか。

恐らく、万物復帰であろう。

日本人食口はこれまで(今もだろうが)エバ国家としての大きな責任は万物復帰で、摂理上の経済的な責任を果すことが、エバ国日本の使命であると教育されてきた。

確かに、エバ国日本が、再臨主の摂理をささえてきたのは紛れもない事実だろう。

しかし、その万物復帰の方法においては、取り返しのつかない大きな過ちを犯してしまったのも否定できない事実だと考える。

ここでは、その狡猾で身の毛のよだつような手法には触れない。詳しくは、聖霊のもとにーメシヤの涙

をご覧いただければ当時の尋常でない霊的雰囲気が感じられるだろう。

この経済活動の結果、日本統一教会は半永久的ともいえる反社会的集団という烙印を押されてしまった

内部的には、人の魂よりも経済を優先させるという、非原理的な組織を作り上げ、アベルカインの絶対服従的な支配構造の中で、人間として最も貴重な感情の一つである、共感力を失った食口を大量発生させてしまったのである。

外部向けの霊感商法が厳しくなると、今度はそのターゲットは日本人食口に向けられ、高額献金ノルマ路程が途切れることなく繰り返されることとなる。

そして、高額献金者は信仰者であり、親孝行者であると賞賛され、そうでないものは信仰の弱い、価値のないものであるとみなされるような空間に教会は変貌したのである。

そこには、お父様が教会員一人ひとりを家族として愛した、食口のつながりは感じられない。

そのような状況下で、どれほど多くの食口と祝福家庭が傷を負い、教会に背を向けてしまっただろうか。

正確な数字はわからないが、数万人は存在するだろう。

自分はみ旨に対して積極的だと自負する人よりも、み旨に消極的だと批判される食口の方が、私に言わせれば感受性が高く、人の心の痛みがわかる、神様に近い人なのではないかと考えたりもする。

サンクチュアリ教会にそのような人が還り始めているならば、うれしいことではないか。

サンクチュアリ教会では、本心と良心に偽ることなく、信仰生活を満喫できるということだ!

感謝である。