祝福家庭の不倫と姦淫
最近、不倫で社会的制裁を受け、身を滅ぼしてしまう人が
多いような気がする。
つい先日、議員辞職に追い込まれた議員は、ベッキーが不倫報道で
叩かれまくっているのを見て、恐ろしくなったのであろうか、不倫相手の
女性にラインの履歴を削除してくれと依頼し、警戒態勢にあったのだが、
その甲斐虚しく、不倫発覚から議員辞職と追い込まれてしまった。
今の世の中に不倫は蔓延しているようだから、マスコミにとっては
ネタの宝庫である。
このような報道を通じて、夫婦・結婚とは何か、愛とは何かなどといった
本質的なことを考える契機を与えられるのはいいのかもしれない。
同時に思うのは、これは祝福家庭に対する神の警告なのではないかということだ。
それは、『食口や祝福家庭は不倫と姦淫を行なっているので制裁を下す』
というものである。
このように書くと、私は不倫や姦淫などは行なっていないし、神を中心とした
健全な家庭生活を営んでいますという声が聞こえて来そうだが・・・。
不倫は姦淫とほぼ同義語である。
宗教的に捉えれば、姦淫は主なる神を捨て、偶像崇拝に耽ることを意味する。
ヨハネの黙示録に登場する「大いなるバビロンの淫女」は、神を捨て、偶像崇拝に耽る存在を
比喩している。
祝福家庭は本当に不倫と姦淫を行なっていないのだろうか?
主なる神を離れ、人が作り上げた空虚な理論・理屈(独生女理論)とその対象(韓鶴子)を崇め
奉る偶像崇拝に陥ってはいないだろうか。
真の父の遺言を守らず、自分勝手な道を歩んでいないだろうか。
一連の不倫報道に私は神のメッセージを感じる。
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