第三祝福実現のために

神様が与えて下さった第3祝福を実現するための一助として、FXを活用してみようという中年オヤジ食口のブログです

ああ、神が愛し見捨てられる韓国よ!

人生振り返ってみれば、あの時こうすればよかったとか、なぜもっとうまく対処できなかったのだろうかと後悔したり、自責の念に駆られることは誰にもあることだろう。
だが、自らが選択し、行動してもたらされた結果であるならば、それを受け止め、責任を持って、よりよいものへと変えていくという姿勢は大切なのではないだろうか。それがあれば、失敗を教訓としていかすことができると思う。
決して自らの失敗をなかったことにしたり、失敗の原因を他人になすりつけることは、百害あって一利なしである。
その観点からいうと、プサンの日本大使館前に設置された慰安婦像設置には、がっかりさせられたし、それはさらにエスカレートし、竹島にまで設置されようとしている。
「最終的かつ不可逆的な解決」で合意した日韓政府間の合意は一体何であったのか?
日韓の歴史的和解は、またも無残に打ち砕かれてしまった。
考えてみればあの合意は、日本が強引に持ち込んだものでは決してなかったはずだ。
そして、合意内容はいみじくも韓国国民が選んだ大統領が決断、決定した内容であった。
とすれば、韓国国民はその決定には連帯責任を負わなければならないのは当然だろう。
だが、韓国国民は心の中でこうつぶやいているのだろう。
『まさか、朴大統領が女占い師を信用して、重要な国策を任せたり、その取り巻きに便宜を図るような人だとは知らなかった。私たちは騙されたのだ。』と。
そんな人物を一国の大統領として選出してしまった自らを悔い、自責の念にかられるのもわからないでもない。だが、そのような人物を大統領として選び、権力を与え、国策を任せたのは、他ならぬ韓国国民なのだ。朴大統領が行った日韓合意は国家レベルの合意なのだ。それをなかったことにしましょうというのは、あまりにも無責任であり、容認されるものでもない。まさしく、国家の品格を疑われる行為だ。
自分たちの連帯責任に目を向けず、日本に責任を擦り付けようとする慰安婦像設置はあきらかに間違っているし、北朝鮮の息のかかった市民団体のやりたい放題になっているのは、傍から見ていてあまりに嘆かわしく、痛ましい。真のお父様はなんと語られるのであろうか・・・
韓国には、成熟した国家として成長してほしい。
もし、ウィーン条約に違反した慰安婦像の撤去、あるいは移動さえもできないようならば、アナーキーであり、韓国を待ち受けている未来は、大国の属国の可能性が大だろう。