第三祝福実現のために

神様が与えて下さった第3祝福を実現するための一助として、FXを活用してみようという中年オヤジ食口のブログです

条件の満ちた北は、いつ行動を起こしても不思議ではない

北朝鮮は長距離弾道ミサイルを発射するのか、しないのかについて多くの議論が交わされている。

発射した時のメリット、デメリットを考慮しながら、北の動きを読み解こうとしているわけだ。

確かにこのような分析も重要であるが、私には霊的な側面からの判断も加わる

特に、独裁体制にある北朝鮮にあっては、金正恩の決断一つで国の動きが決定されるので、霊的側面の働きかけは、小さくないとみる。

原理によれば、悪霊人の再臨復活は、悪霊の業が天を代理して、審判の行使を代理した結果を

もたらすときになされるとある

遺憾ではあるが、韓鶴子オモニと盲目的に、あるいは自己保身のために付き従う群れは、いまや

天の摂理を妨害する立場にあるため、北の軍事的挑発は条件的には成立していると私はみている

条件の満ちた、北の動きに目が離せない。

ペルソナが砕かれる日

今、巷で話題として出てくるのは、ベッキーの不倫問題だ。

この問題が発覚する前は、レギュラー番組を何本も持つ、超売れっ子芸能人だったが、不倫問題炎上後はCMも打ち切られ、番組も降板し、心神喪失状態に追い込まれているという。

芸能人の世界では、離婚だの略奪婚だの泥沼の愛憎劇などは日常茶飯事であるのに、なぜベッキーに関しては、これほどまでに世間が騒いだのか?

それは、彼女が作り上げ、売りにしていたものが「明るくて聡明な優等生”のイメージ」と不倫問題で暴かれた彼女の素の姿が、あまりにも大きく乖離しており、そのギャップ差を許容できなかったからだろう。

芸能人のキャラクターやイメージ像は人工的に作り上げられた仮面であり、偶像である。

粉々になってしまった仮面を修復して、再度利用することはできない。

ベッキーは消える運命にある。

ここで、読者の皆様に一つお尋ねしよう。

このベッキー以上に実体と乖離した仮面を被る人物をご存知であろうか?

うすうす気付き始めている食口もいるかもしれないし、まだ厚く塗られた仮面の下の姿をご存じない食口もいらっしゃるだろう。

遅かれ早かれ、ベッキーのように、その仮面は粉々になるだろうからご紹介しよう。

その人物とは、

韓鶴子オモニである。

オモニの作り上げられた仮面は皆さんよくご存知であられるから、触れないことにしよう。

では、その仮面と乖離した実体とは・・・。

一言で申し上げれば、「絶対権力を手中にせんとする背信の母」である。

ショックを受ける食口も多いかもしれないが、この表現は、オブラートに包んだものだと理解してほしい。

オモニの素の姿を如実に示す事実を知れば、その厚い仮面は間違いなく、砕け散るだろう。

最大の背信行為は、真のお父様が生命維持装置をつけておられた際に、金孝南にそそのかされて

その生命維持装置を取り去り、真のお父様の命を奪おうとされたことだ。

これは、その場に臨席した先輩家庭に確認すれば、すぐに事実だと判明する。

必死でその蛮行を止めに入られた亨進様を韓鶴子オモニは、部屋に呼び、力の限り平手打ちを食らわしたというのだから、恐ろしい限りである。

この光景は、北朝鮮で金正恩が親戚関係にある側近を粛清し、恐怖にてその体制を固めようとしたこととなんら変わりはない。

必死で塗り固めた仮面も事実の前には、もろく崩れ去る。

非常に痛ましいことであるが、人類の真の父を亡き者にしようと企てたその事実は決して消し去ることはできない。韓鶴子オモニは、歴史上のどの独裁者よりも、罪深いと申し上げるほかない。

他にも数多くの天宙的な罪は、積もり積もって天にまで達し、その罪状を神様と真のお父様は記憶されておられる。今後、仮面の下の真相が続々と暴かれるだろう。

真のお父様がそうされる。

2月13日以降、その仮面は砕かれる。

それゆえ、神の言葉は警告される。


神は言われる

私の民よ。彼女から離れ去ってその罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ

彼女の罪は積もり積もって天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。」

「彼女が自ら高ぶり、贅沢をほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味あわせてやれ。彼女は心の中で、「私は女王の位についているものであって、やもめではないのだから、悲しみを知らない。」といっている。」

彼女と姦淫を行い、贅沢をほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸をうってなき悲しみ、彼女の苦しみに恐れを抱き、遠くにたっていうであろう。「ああ、わざわいだ。大いなる都、不落の都、バビロンは災いだ。お前に対する裁きは一瞬にしてきた。」






み旨に消極的だった人たちも集える教会

「静岡の食口も真のお父様のもとに還ります」のブログに以下のような内容が記載されていた。


家庭連合から、「サンクチュアリに行った兄弟姉妹は、み旨に消極的だった。」等のご批判も頂いておりますので、その内容も謙虚に受け止め、今、神様が準備している人たちに、み言と実体を伝えていくことが、私たちが今やるべきことではないだろうかと考えております。


なんと謙虚な方であろうか。素晴らしいと思う。

さて、「サンクチュアリに行った兄弟姉妹は、み旨に消極的だった」の箇所を自分なりに考えてみたい。

ここであげているみ旨とは一体何を指しているのだろうか。

恐らく、万物復帰であろう。

日本人食口はこれまで(今もだろうが)エバ国家としての大きな責任は万物復帰で、摂理上の経済的な責任を果すことが、エバ国日本の使命であると教育されてきた。

確かに、エバ国日本が、再臨主の摂理をささえてきたのは紛れもない事実だろう。

しかし、その万物復帰の方法においては、取り返しのつかない大きな過ちを犯してしまったのも否定できない事実だと考える。

ここでは、その狡猾で身の毛のよだつような手法には触れない。詳しくは、聖霊のもとにーメシヤの涙

をご覧いただければ当時の尋常でない霊的雰囲気が感じられるだろう。

この経済活動の結果、日本統一教会は半永久的ともいえる反社会的集団という烙印を押されてしまった

内部的には、人の魂よりも経済を優先させるという、非原理的な組織を作り上げ、アベルカインの絶対服従的な支配構造の中で、人間として最も貴重な感情の一つである、共感力を失った食口を大量発生させてしまったのである。

外部向けの霊感商法が厳しくなると、今度はそのターゲットは日本人食口に向けられ、高額献金ノルマ路程が途切れることなく繰り返されることとなる。

そして、高額献金者は信仰者であり、親孝行者であると賞賛され、そうでないものは信仰の弱い、価値のないものであるとみなされるような空間に教会は変貌したのである。

そこには、お父様が教会員一人ひとりを家族として愛した、食口のつながりは感じられない。

そのような状況下で、どれほど多くの食口と祝福家庭が傷を負い、教会に背を向けてしまっただろうか。

正確な数字はわからないが、数万人は存在するだろう。

自分はみ旨に対して積極的だと自負する人よりも、み旨に消極的だと批判される食口の方が、私に言わせれば感受性が高く、人の心の痛みがわかる、神様に近い人なのではないかと考えたりもする。

サンクチュアリ教会にそのような人が還り始めているならば、うれしいことではないか。

サンクチュアリ教会では、本心と良心に偽ることなく、信仰生活を満喫できるということだ!

感謝である。