光あるうちに光の中を歩め
ヘブル書6章4節~
一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
まさしく今、このようなことが起こっています。
何よりも尊い祝福とみ言を与えられ、許しと恵みの圏内に移行された私達。
真のお父様は何度私達の罪のゆえに、投獄され、拷問を受け、死線をさまよわれたでしょうか。
どれだけ切ない愛の十字架を超えてこられたでしょうか。
神様への絶対なる信仰と愛と服従ですべてを乗り越え、その勝利圏を何の条件もない、
取るに足らぬ私達に与えて下さったお父様・・・。
その限りない愛と恵みを知りながら、この世の欲に負け、神様と真の父に対する信仰と愛を売り飛ばして
しまう輩は「神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たち」です。
私は知らなかったのですとか、様子をみたかったのですとか、そんなごまかしは通用しません。
そんな状態で霊界に召されたならば、永遠にその状態にとどまることでしょう。
光あるうちに、光の中を歩きましょう。
時に私達は弱く、お父様に躓き、ペテロのような立場に立つこともあるかもしれません。
しかし、ペテロは神様の愛に戻ってきました。
一方、主を意図的に拒み、否定し、利用したユダの最期はどうでしたか?自殺です。
この二人の人生を思いながら、自らの信仰生活を振り返ってみるのは無駄ではないはずです。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。