第三祝福実現のために

神様が与えて下さった第3祝福を実現するための一助として、FXを活用してみようという中年オヤジ食口のブログです

貴重な食口とアベルの責任

家庭連合の多くの役職者は『人はパンのみにて生きるにあらず』といったみ言や本心の叫びを無視し続け、神様と真のお父様は私の事情を知っておられ、最終的には許してくださるという甘えと堕落性の中に生きています。
その堕落性に根差した、自己中心的な信仰姿勢は本人のみならず、食口達の信仰観にも悪影響を与え、結局は食口達が神とキリストの前に出る道を塞いでしまうことは明らかです。
かつて、イエス様はペテロに言われました。
(ヨハネによる福音書21:15〜19)
                          
「食事が終ると、イエスはシモン・ペテロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。』と言うと、イエスは『わたしの子羊を飼いなさい』と言われた。二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。』と言うと、イエスは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』

上記の聖句を私たちに置き換えて考えてみましょう。
キリスト=再臨主(文鮮明氏)
ペテロ=責任者・アベル
羊=食口・信者
ということになります。
そして、み言は責任者とアベルに二つのことを要求しています。
第一に、「牧会者・責任者・アベルは本心よりキリストを愛さなければならない。」ということです。
イエス様は3度も繰り返し、『わたしを愛しているか』ペテロに尋ねられました。
キリストを愛さないものは、牧会者・責任者・アベルの位置に立つ資格は与えられません。
第二に、食口を愛し、励まし、み言を語り、育て、キリストへの信仰を失わないように導くということです。
イエス様はペテロが真実にイエス様を愛していることを告白させた後に、
『わたしの羊の世話をしなさい』
『わたしの羊を飼いなさい。』
と語られました。注目したいのは、イエス様が信者を『私の羊』と表現されていることです。イエス様は、信者を『私の羊』と語られ、所有権を主張されておられます。イエス様にとって、信者たちはご自身が十字架上で血を流され、ご自身の命と引き換えにサタンより取り返した命であるからこそ、『私の羊』と所有権を表明されたのです。同様に、食口も真のお父様の筆舌尽くしがたい愛と犠牲により、サタン世界より取り返された貴重な命であることを認識しなければなりません。
アベルは、カインにより絶対服従され、真の父母の代身者として侍られるべき存在だと勘違いしてはいけません。
食口と祝福家庭は真のお父様の血と汗と涙と生命により、死すべき立場より神側に取り返された存在です。

現在、家庭連合の責任ある立場にある方々にお尋ねします。
1 あなたは、文鮮明氏をキリスト・再臨主として受け入れ、愛していますか。
2 あなたは、食口と祝福家庭がキリストの羊であり、キリストの代身者として世話を   
  し、飼っていますか?