第三祝福実現のために

神様が与えて下さった第3祝福を実現するための一助として、FXを活用してみようという中年オヤジ食口のブログです

あまりに世俗的な韓オモニ

信仰初期の段階で聞き、今でも心に残っているお父様のみ言があります。

それは、

「私が死んだとき、豪華で立派なお墓はいりません。

ただ、この人は神のために生き、神のために死んだという内容を

記す碑があればよいのです。」



という内容のものでした。

悲しみの中にある神様の心情の対象になり、

慰めたいという自己犠牲の姿勢にいたく感動しました。

これこそ信仰の原点であります。


ところで、韓オモニは若い青年宣教師たちにどのようなみ言を語られたのか?

皆さんが未来の世界の後孫たちの前に誇らしい何ですか?

天一国の青年特使。

その次に、何をつけてあげましょうか?

名門家出身。

天一国の歴史において、主役であり、

長きにわたって誇りある名門家出身になることができるのです。

おそらく若い時の自分はこのみ言には感動しなかったと思います。

むしろ、軽蔑したのではないかと。

なぜなら、そこには薄っぺらい世俗的な利己的な欲望と虚栄心が透けて見えるからです。

若い時だけでなく、今でもこの韓オモニの思想を良しとはしません。

お父様と韓オモニの思想は明らかに異なるものです。

一つではありません。

その違いにさえ、気づかずに一つだと主張する人は、醤油をソースだといいはる

以上に馬鹿げています。

真の父の可哀そうな神様を慰め、そのためには生きて死の峠を何度も超えて行く

という思想は亨進様が受け継がれておられるということを私は感じます。

真の父が神様の前に立てられた忠孝の姿勢は亨進様が相続されているがゆえに、

私がサンクチュアリ教会の門を叩いたのもある面当然なのかもしれませんが、

信仰の原点となった幼い思いを記憶して下さり、導いて下さった神様に感謝です。


多くの食口たちはそろそろ気づいているのではないでしょうか。

お父様の真なる後継者はお母様ではないと。

でもそれを認めてしまうと、今までの自分のすべてを否定しなければならない、

完全なる自己否定を恐れているのでしょうね。


その気持ちも解らなくはないですが、結局のところ私たちは何のために

信仰生活を行っているのでしょうか?自分自身を正当化するための信仰ですか?


私たちは神様のもとに帰り、真なる愛で永遠に神様と永世するために信仰を

行っているのです。そのためにメシヤが必要なのです。

道であり、真理であり、愛なる仲保者のキリストが必要なのです。

長い信仰生活で道に迷うこともあるでしょう。道を誤ることもあるでしょう。

その時は、引き返せばいいのです。

誤った方向へ突き進めば、最後には行くべき目標とは正反対の地点に行き着くのは

明らかです。

まさか霊界にいって、誤っていれば再臨共助すればいいとはかんがえていないでしょ?


韓オモニはゴージャスなものを好まれると亨進様はおっしゃいました。

そして歴史に残るゴージャスな宮殿を建設されようとしておられます。

そして、その事業こそが神の摂理だと、とんでもない思い違いをされています。

神の臨在しない宮殿に何の意味があるのでしょうか?


神の摂理は3大王権を中心とした神の国の実現です